わかみやクラブ・城部 <大多喜城>

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大多喜城   千葉県大多喜町大多喜字二の丸

模擬天守 薬医門
(左)大多喜城模擬天守  (右)現存する薬医門

築城年
1590(天正18)年
歴代城主
武田氏、正木氏、本多氏、阿部氏、青山氏、阿部氏、稲垣氏、松平氏
別 名
大滝城、大田喜城
形 式
平山城
遺 構 現存門、模擬天守、模擬石垣、土塁、空堀、井戸
解 説 【中世大多喜城】
夷隅川の中流域の丘陵部に位置し、上総武田氏が1521(大永元)年頃築城したといわれている。上総武田氏は甲斐武田氏の子・信長を祖とし、鎌倉公方足利成氏の近臣として上総に入部。真里谷城長南城を拠点に勢力を拡大していった。その子孫は上総国内に城を築き、上総一国を手中に治めたが、正木氏との抗争(苅谷ヶ原の戦い)で敗北。正木時茂が大多喜城に入城した。正木時茂は"正木大膳"といわれ各地で名声が伝わっている。その弟時忠は勝浦城を拠点に、勝浦正木氏の祖となり安房里見氏と同盟を結びながら、独立性を強めていった。時茂が没すると、子の信茂が跡を継ぐが、1564(永禄7)年の国府台合戦で戦死。そのため、まだ若年の憲時が跡を継ぐ。ところが、憲時は里見氏に反旗を翻し、里見義頼に滅ぼされてしまう。正木氏の支配がこの地域に根付いており、上総地方を治めるのに、正木氏の家名や時茂の名声が必要と判断した義頼は、次男の別当丸に正木氏の名跡を継がせ、二代目正木時茂を名乗らせた。この時代に大多喜城は大きく改修・拡張され、里見氏の東上総支配の重要拠点となった。特に、後北条氏方となった土岐氏の居城・万喜城とは近接しており、常に緊迫した状況であったと思われる。

【近世大多喜城】
豊臣秀吉の小田原北条攻めの後、里見氏は上総の所領を没収、正木氏も同城を明け渡して里見氏の元に身を寄せた。徳川家康の関東入国に伴い、重臣の本田忠勝が10万石で入城。近世城郭として整備された。1600(慶長5)年の関が原合戦後、忠勝が伊勢桑名(三重県)に移ると、次男忠朝が5万石で城主となる。ところが、1615(元和元)年の大坂夏の陣で忠朝は討ち死。甥の政朝が入り、以後城主の入れ替わりとともに、徐々に規模を縮小していき、明治維新を迎え廃城となった。
アクセス いすみ鉄道大多喜駅〜徒歩15分
東京駅から大多喜経由の高速バスが出ています。
近くの城
万喜城がおすすめですが、いすみ鉄道は本数が少ないので注意!


商家
四ッ門跡の公園
 大手門跡
城下に残る商家、渡辺家住宅:
江戸時代のものだそうです。
四ッ門跡の公園

大手門跡:
模擬城門が建っていますが、ちょっと中途半端な気がしなくもありません。
本丸跡の大井戸
竪掘
土塁
本丸跡の大井戸:
深さが日本一らしい。大多喜高校の敷地内ですが、見学できます。

本丸付近の竪掘

本丸土塁

模擬天守内部
堀切
解説板
模擬天守内部:
博物館になっています。千葉県の城郭に関する本なども置いてありました。3冊買いました!
おおっ!見事な堀切ではないですかぁ!
大多喜城解説板
(クリックすると別ウインドウで開きます)


感 想

 高速バスで行ってきました。大多喜の町自体が城下町の風情が感じられ、首都圏からは気軽に行ける観光地(しかもツウ好み!)と思います。巷では、いすみ鉄道が廃線になってしまうかもしれないとのコトですが・・・もし本当に無くなってしまうなら、残念でなりません。

 城址ですが、二の丸には大多喜高校が建ち、「見学は難しいか・・・」と思われましたが、その心配は杞憂に終わり(開放してあります)、現存する薬医門や井戸も見てきました。本丸に建っている模擬天守は千葉県立中央博物館大多喜分館。なかなか見応えがありました。本丸周辺の切岸もなかなか見事で、思っていた以上に満足して帰ってきました。

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