佐倉城 千葉県佐倉市城内町官有無番地
| (左)佐倉城椎木曲輪の馬出し (右)出丸付近の土塁:かなりの高さがあります。 |
| 築城年 |
1611(慶長16)年 |
| 歴代城主 |
土井氏、石川氏、松平氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏、松平氏、堀田氏 |
| 別 名 |
鹿島城 |
| 形 式 |
平城 |
| 遺 構 | 天守台、櫓台、土塁、空堀、馬出しなど |
| 解 説 | 千葉氏が築いた鹿島城の城跡に、徳川家重臣土井利勝が築城した。土塁を中心とした「土の城」で、石垣は用いられていない。(関東では徳川家康が江戸に入部後は、それ以前に築かれていた城以外、領国内に石垣の城は築かなかった。)江戸外郭の防御拠点として重視されたため、城主はめまぐるしく変わるが、1746(延享3)年、堀田正亮の入封後は明治維新まで堀田氏が続いた。 本丸の土塁上には天守、銅櫓、角櫓があり、3層の天守は北西側の半分が土塁に掛けられるようにして建てられていたが、1813(文化10)年に焼失した。小天守に相当した銅櫓は太田道灌が江戸城本丸に建てた静勝軒と伝えられ、家康が江戸城庭園の建築として利用していたが、佐倉城に移築された。 1873(明治6)年、陸軍歩兵第二連隊の営所が置かれたため、城の建物は全て取り壊されたが、飛び降り訓練用の跳下台などが残る。 |
| アクセス | 京成本線京成佐倉駅〜徒歩20分 JR佐倉駅〜徒歩30分 |
| 近くの城 |
| 空堀: 三の門跡付近 |
土塁: 死角がなくなるよう、屈曲を繰り返しています。 |
出丸付近の門: 特に解説がされていないということは、後世のものでしょうか? |
| 空堀: 出丸付近(だったと思う) |
陸軍歩兵第二連隊営所のトイレ跡 |
歴史民俗博物館から見た馬出し |
| 本丸周辺の空堀: 凄い深さです |
銅櫓跡: もしも銅櫓が現存していたら、どれだけ貴重な史料となったことでしょうか。 |
姥が池: 家老の娘を子守り中に誤ってこの池に落としてしまったお婆さんが身を投げたという言い伝えが残っています。 |
| 感 想 |
千葉城のあとに、JRの佐倉駅から歩いて訪問しました。かなり遠いので、歩くのが嫌いな方にはキツイかもしれませんが、駅の観光案内所で佐倉城関係の資料が入手できます。佐倉城に入ると(大手門跡から入るはずです)、“自由広場”に案内所があり、そこでも復元模型や資料が入手できるので、このコースはオススメです。それと佐倉城自体、相当広いです。城好きから見れば「壮大な空堀が見事で馬出は見ごたえがあって…」となるのですが、そうでもない人から言わせると、「だだっ広い芝生の公園」にしか見えないかもしれません(泣)。ウォーキングをしている方を数多く見ました。出丸や帯曲輪あたりの雰囲気はとても好きなのですが、空堀の整備をもう少ししていただければ、壮大さがもっと感じられたのに・・・と思うのは私だけでしょうか?などと考えつつ、歴史民俗博物館を見学していたら、社会科見学の子ども達がゾロゾロと!職業柄、休みの日くらいは子どもの集団は見たくない(笑)!!さっさとズラかり、本佐倉城に向かいました。 |