わかみやクラブ・城部 <山中城>

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山中城  静岡県三島市山中新田 

障子堀 畝堀
(左)山中城障子堀:山中城は障子堀・畝堀など見どころ満載です。 
(右)岱崎出丸の畝堀:豊臣VS北条の戦いでも、岱崎出丸をめぐって激しい銃撃戦が繰り広げられました。

築城年
永禄年間(1558〜70)
歴代城主
北条氏
別 名

形 式
山城
遺 構 土塁、空堀、土橋、曲輪、木戸跡など
解 説

 北条氏が本拠地小田原城の西方防備のため、箱根の天険を利用して築城。東海道を城域に取り込み、箱根の関門として重要な存在であった。天正期に入り、豊臣軍との戦いに備え、北条氏の築城技術を結集し、大改修を行った。

 天正18(1590)年3月29日、豊臣軍約7万が包囲。中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊・一柳直末ら主力軍が岱崎出丸を、徳川精鋭部隊が西の丸をそれぞれ攻撃した。松田康長以下約4000の山中城守備隊は、果敢に戦うも、豊臣軍の圧倒的な物量作戦の前に全滅した。

 現在は国の史跡に指定され、障子堀や畝堀など旧状が残されている。

アクセス

JR東海道線三島駅〜バス元箱根行き「山中城跡」下車すぐ
※元箱根〜三島行きバスの方が行きやすいかも?

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曲輪

御馬場曲輪の空堀@:少しですが、畝があります。
すり鉢曲輪:中央に向かって緩やかな勾配があるのがおわかりいただけるでしょうか。
岱崎出丸の畝堀を真横から!
この畝が敵の横移動を阻みます。




田尻の池:ここの水は馬の飲料用にされていたそうです。 二の丸入り口:冠木門の向こうは、北条氏特有のスロープ状の曲輪。 ニの丸A:スロープ状の曲輪です。両側には高い土塁。




西の丸:山中上攻防戦では徳川隊に侵入を許してしまいました。
西の丸B:西櫓跡。この向こうに障子堀が控えているはず。 三の丸H:国道一号線。当時も東海道を取り込んでいました。まさに箱根の要塞!

→その他の写真も見る

感 想

【おすすめ度】
B
 前から行きたかった山中城。すごく簡単に言ってしまうと、「く」の字の形をした城で、「く」の折れ曲がった部分を東海道が通っています。小田原に攻めに行きたい豊臣軍にとっては、必ず通過しないといけない地点なのであります。

 北条氏としては小田原決戦を前に、築城技術を総結集した「堅城」山中城で、豊臣軍に大ダメージを与えるはずでした。で、何故「堅城」なのかというと、「く」の字の上部分への攻撃に対して下部分から兵を出して敵の側面を衝くことが可能で、下部分を攻撃すれば上部分からの逆襲が可能(このあたりは本佐倉城と似ています)なのですが…。豊臣氏の軍隊は北条氏の想定範囲をはるかに超えていました。数も質も。7万対4千、「く」の上部分も下部分も同時に攻撃されてしまい、その上いくら倒しても次から次へと兵が出てきては、技術を結集した堅城とはいえ、わずか数時間で落城してしまいました。豊臣軍も一柳直末の戦死など、ダメージがなかった訳ではありませんが「完勝」に違いありません。

 「沿革」の続きみたいになってしまいそうなので、感想。すごくわかりやすく遺構が保存されている上、芝生広場のようになっている曲輪もあり、お弁当などを持って行きたい感じです(実際に何人もいました)。空堀なども、実際昇ってみると、すごい急斜面で、登るのに苦労します。まして上から攻撃されたら・・・。障子堀も写真で見るとただのあぜ道のように見えますが、当時はもっと深く泥水が張ってあり下を見えなくしていたそうで、堀底を移動するのは至難の業です。建築物はありませんが、城を好きな人・好きになりかけてきた人にはおすすめ!です。事前に少しでも「山中城攻防戦」について知っておくと、面白さ100倍増です。

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