わかみやクラブ・城部 <浜松城>

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浜松城   静岡県浜松市元城町  

天守 石垣
(左)模擬天守。昭和33年に建てられました
(右)本丸石垣。荒々しい野面積みがかっこいい!

築城年
1570(元亀元)年
歴代城主
松平(桜井)氏、水野氏、高力氏、松平(大給)氏、太田氏、青山氏、松平(本庄)氏、松平(大河内)氏、松平(本庄)氏、井上氏、水野氏、井上氏
別 名

形 式
平山城
遺 構 石垣、模擬天守など
解 説

 三河から遠江に進出した徳川家康が、遠江支配の拠点とするため、曳馬城のあった地に築いた新城。1572(元亀3)年、当時最強といわれた騎馬軍団を率いる武田信玄は上洛を目指し、本拠地躑躅ヶ崎館を出発。三河へ攻め込み、瞬く間に只来城・天方城・飯田城・久野城など徳川軍の支城を落としていった。そしてついに浜松城の北方に位置する二俣城も開城した。その後信玄は、浜松城に向かうよう見せかけた後、西進し三方ヶ原台地で小休止を取る。この信玄の挑発に乗った家康は出撃し、台地を下りる武田軍を追撃する計画であった。しかし、この行軍は武田軍の巧妙な罠で、出撃した徳川軍の前には万全の態勢で武田軍が待ち構えていた。1万3000の徳川軍に対して、武田軍は2万7000。真正面で激突すれば、案の定勝ち目はなく、わずか2時間ほどで総崩れになり、家康は命からがら浜松城に逃げ帰った。この戦いは「三方ヶ原の戦い」として有名。

 1590(天正18)年、小田原の役後、家康が関東に移封されると、替わって入城した堀尾吉晴によって大幅に改修され、天守も建造された。 江戸時代には譜代大名が目まぐるしく入れ替わり、その多くが浜松在職中に老中などの要職に就いたため、「出世城」と呼ばれていた。明治維新後、建物は壊され堀も埋め立てられた。

アクセス

JR東海道線浜松駅〜徒歩15分

近くの城
曳馬城


浜松城公園 石垣 天守台石垣
浜松城公園の碑:
本丸石垣
コンクリートで補強されていますが、石段ですね。
天守台石垣:

みかん 井戸 しかみ像
家康公手植えのみかん:
・・・のわりには小さいような・・・
井戸:
「銀明水」と呼ばれていたらしい。
展示「しかみ像」:
三方ヶ原合戦で敗れ、浜松城に逃げ帰った家康は、その姿を描かせ一生の教訓にしたという。
→その他の写真も見る

感 想

【おすすめ度】


 浜松駅から歩いて行けます。市役所の裏なので、市役所を目指しましょう。野面積みの石垣(家康時代のものという説も)は迫力がありますが、その他はあまり印象に残りませんでした…。天守も模擬、つまり何の根拠もなく作った代物なんですよねぇ。まぁ、天気も今ひとつだったことと、デジカメの充電を忘れていて、電池切れ寸前にまで追い詰められていたのも影響しているのでしょうか。

 天守の中は、さすがに家康関係の展示物が多かったような気がしますが、これも「そこそこ」感がありました。浜松城といえば三方ヶ原にも行きたくなるというのが、人情というもの。しかし!浜松城から適当な交通機関は無いとの事で、地元の人たちに聞いても「?」といった雰囲気でした。結局、タクシーに頼ってしまい(タクシーの運ちゃんも知らなかった)、えらいお金を掛けてしまいました。帰りは浜松駅までのバスを発見し、九死に一生を得ましたが、浜松城に来る人はかなりの確率で三方ヶ原にも行きたいはず。
「パンフに書いておいてくださ〜い!!」

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