清洲城 愛知県清須市清洲町朝日城屋敷
| (左)大手橋と清洲城模擬天守 (右)本丸跡と城址碑:現在の清洲城は実際とは異なる場所に建っています。 |
| 築城年 |
応永年間(1394〜1428)? |
| 歴代城主 |
斯波氏(?)、織田氏、豊臣氏、福島氏、松平氏、徳川氏 |
| 別 名 |
清須城 |
| 形 式 |
平城 |
| 遺 構 | 模擬天守、石垣(復元)、土塀(復元)など |
| 解 説 | 濃尾平野の中央に位置する織田信長の天下統一の拠点となった城である。その過程で、清洲城を舞台とした逸話は多い。 まず、信長は、尾張統一を進める中、主筋にあたる織田信友を殺して清洲城を奪い取っている。次に1557(弘治3)年、和睦を結んでいた弟・信行を清洲城におびき寄せ、斬殺。その3年後、今川義元軍2万5000をわずか4000の兵で破ったことで有名な「桶狭間の戦い」もこの城から出陣している。この出陣前、信長は「人間50年/下天のうちをくらぶれば/夢まぼろしのごとくなり/ひとたび生を得て/滅ぼせぬものあるべきか」と舞を舞ったといわれる。 豊臣秀吉についても関係が深く、清洲城の塀が百間(約180m)も崩れた際、信長から修理を命じられ、「清洲城の割普請」を行い、3日で建て直し信長の信頼を得たのも、本能寺の変後、後継者と遺領配分を決める重臣会議が開かれ、秀吉にとって天下人の第一歩を踏み出したのも清洲城である。 清洲城とその城下町は名古屋城が築かれた際、なにもかも名古屋に移され、一瞬にして廃墟になった。これを「清洲越」という。また、名古屋城の西北隅櫓は「清洲櫓」とも呼ばれ、清洲城の古材が使われているという伝承がある。 |
| アクセス | JR清洲駅〜徒歩20分 ※駅前及び道路に案内板あり |
| 近くの城 |
名古屋城 |
大手門(模擬) |
信長塀:桶狭間の戦いの後、熱田神宮に奉納したものだそうです(復元) |
天守内部:甲冑が展示されていました。 |
| 天守内部:「敦盛」を舞う信長公。“桶狭間の戦い”出陣前ですな。
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清洲城模擬天守は賛否両論ありますが、木造でなかなか雰囲気のある天守でした。 |
廻縁:赤い高欄が良い味を出しています! |
| 城下遠望 |
五条川越しに見る模擬天守 |
井戸:これも復元でしょう |
| 感 想 【おすすめ度】 C |
清洲城に関しては賛否両論ありますが、個人的にはなかなか良かったです。模擬とはいえ、天守も綺麗だし。内部には「舞を舞っている信長様」のリアル(?)な人形が飾ってありました。周りに高層建築がない分、展望室からの眺めもよく、岐阜方面や名古屋方面も見渡せます。注意して見れば、名古屋城を見る事ができます。他は、え〜っと(汗)。まぁ、「思い入れ」で訪れるべき城であることは確かですな…。がんばれ!清洲城!! |