三木城 兵庫県三木市上の丸町
| (左)本丸塀(復元) (右)かんかん井戸 |
| 築城年 |
1492(明応1)年 |
| 歴代城主 |
別所氏、中川氏 |
| 別 名 |
釜山城、別所城 |
| 形 式 |
平山城(丘城) |
| 遺 構 | 【現存】土塁、天守台 【復元】土塀 |
| 解 説 | 十五世紀半ばに創築された釜山城を別所則治が修築、東の丸、二の丸、出城を築き、播州一の堅城といわれた別所氏の居城。1578(天正6)年、三木城主の別所長治は織田信長に離反(秀吉の無礼な振る舞いが原因という説もある)、毛利氏と連合し、秀吉の中国侵攻を三木城で迎え撃つ。前に美嚢川、後は山に守られた堅固な要害である三木城に対し、秀吉は三木城を包囲、兵糧攻めを敢行するとともに支城をひとつずつ潰すという作戦に出る。毛利方も援軍や兵糧を運び込もうとするが、度々失敗に終わる。三木城は2年間持ちこたえた(余りに長く持ち堪えたため、「かんかん井戸は明石までつながっていた」という伝説が残る)が、城内はねずみや雑草、木の皮をさえ食べ尽くすという悲惨な状況であった。ついに1580(天正8)年、城兵の助命を条件に切腹、開城した。この戦いは「三木の干し殺し」として戦国合戦史上有名。現在も三木市では、23才にして城兵の身代わりとなった別所長治公に対する人気は高く、毎年「別所公祭り」が催されている。天守跡に別所長治の辞世の句「今はただ/恨みもあらじ/諸人の/命にかわる/わが身と思えば」の石碑が建つ。 |
| アクセス | 神戸電鉄線「三木上の丸」駅徒歩5分 |
| 近くの城 |
姫路城まで電車で1時間30分くらい |
| 三木城址入り口 |
三木合戦図 (クリックすると画像が開きます) |
三木城復元図 (クリックすると画像が開きます) |
| 御殿跡 |
二の丸跡の石垣 |
本丸跡(奥は天守台)
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| 城下遠望(平井山方面) |
資料館(跡) |
美嚢川から見た三木城 |
| 別所長治首塚(雲龍寺) |
別所長治石像 |
別所長治辞世の碑 |
感 想
【おすすめ度】 |
私の故郷、「実家の裏山の公園」です。幼少のころはよく本丸跡でザリガニ釣りやドッジボールをして遊んだものですが、こうして何十年ぶりかに訪れてみると、感慨深いものです。お城の清掃ボランティアのおばさんが母の知り合いで、「ひょっとして?」と声を掛けられてしまいました(こういう時って、何か照れくさいものですね)。ところが、兵糧攻めの悲惨な様子を描いた「三木合戦図」はサビかけていて、殆ど見る事が出来なくなっていたのはショックでした…。歴史的にも有名な戦いのあった場所なのに、もう少し整備は何とかならないのかな〜。まぁ、色々と事情はあるのでしょうが、「自慢したくなる故郷のお城」であって欲しいと願うばかりです。立派な市役所などを建てるよりも、子ども達にとって、気軽に郷土の歴史に親しめる場所である事を維持する方が余程意味があるのでは、と思いますがどうでしょうか? |