大多喜根古屋城 千葉県大多喜町泉水字岡部台
| (左)大多喜根古屋城址 (右)どう見ても、それほど大きな城とは思えません |
| 築城年 |
1521(大永元)年 |
| 歴代城主 |
武田氏 |
| 別 名 |
小田喜根古屋城 |
| 形 式 |
平山城 |
| 遺 構 | なし |
| 解 説 | 周囲を標高150mの丘陵に取り囲まれ、天険の要害となっており、1521(大永元)年に当時北条方に属していた真里谷城の武田氏が里見氏の上総侵略に備えて築城したものと思われている。夷隅川を天然の堀とし、人工的な内堀も最近まで残っていた。大多喜根古屋城は昭和42年に発見され、中世大多喜城と比定する説もあるが、栗山台城郭遺構が新たに発見されたことで、こちらを中世大多喜城(小田喜城)とする考えが強くなった。 |
| アクセス | いすみ鉄道大多喜駅〜徒歩15分 東京駅から大多喜経由の高速バスが出ています。 |
| 近くの城 |
もちろん大多喜城、10kmくらいありますが万喜城 |
| |
||
| 城址碑 |
城址解説 (クリックすると別ウインドウで開きます) |
石垣: もちろん、模擬・・・作り物です。 |
感 想 |
大多喜城の博物館で場所を尋ね、やっとの思いで辿り着きました。…が、見た限りでは宅地化が進み、「人工的な内堀」は見つけられませんでした。コンクリートで補強された丘の上に城址碑が建つのみ・・・。そこそこの規模はあったんでしょうが、近世大多喜城と比べると立地的にもかなり見劣りします。現状を見る限りでは「里見氏の上総侵略に備えた拠点」というようには思えませんでした。文字通り、根小屋地区の物見砦的な役割か、中世大多喜城(も現状の位置であるとするなら)の出城か・・・という感想でした。 |