大垣城 岐阜県大垣市郭町
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| (左)大垣城天守:1958(昭和33)年再建 (右)大垣城址碑 |
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天文初(1530年代)年(?) |
| 歴代城主 |
宮川氏、竹腰氏、氏家氏、池田氏、一柳氏、伊藤氏、松平氏、戸田氏 |
| 別 名 |
巨鹿城、大柿城 |
| 形 式 |
平城 |
| 遺 構 | 天守(復元)、土塀(復元)、丑寅隅櫓(復元)、戌亥隅櫓(復元)、表門(移築現存)、石垣 |
| 解 説 | 大垣は東日本と西日本を分ける関門の地で、壬申の乱以降、関が原では日本史を塗り替えられる戦いが度々行われた。大垣城は16世紀初期に竹腰氏によって築かれたと伝えられるが定かではない。1583(天正11)年、池田恒興が城主となったころから、城郭として整備され、伊藤氏時代に天守が築かれた。四層四階の珍しい天守で、山伏を捕えて天守台に埋め、人柱にしたという伝承もある。 関が原の戦いでは、西軍の本営として利用され、石田三成率いる主力部隊は大垣城から決戦の地へ出撃した(当初、西軍は大垣城に籠城し、長期戦に持ち込む作戦であったが、東軍の「佐和山城を攻略した後、大坂城を目指す」との情報により、要地を確保するため、主力を関が原へと転進させた)。東軍は関が原盆地での決戦に勝利すると、大垣城を包囲。留守を任されていた福原直高は降伏勧告に応じて開城した。 江戸時代には、譜代・親藩大名が城主を歴任し、戸田氏の時代に明治維新を迎えた。明治廃城令後も旧藩士らの保存運動により残った天守は旧国宝に指定されたが、太平洋戦争で焼失。昭和34年に復興された。その後、本丸櫓や門も復興・新造されている。 |
| アクセス | JR大垣駅〜徒歩10分 |
| 近くの城 |
墨俣城、曽根城 |
| 乾(西北)隅櫓: 1967(昭和42)年建造。 |
鉄門跡 |
滝跡: 水がちょろちょろと・・・ |
| 辰巳櫓跡 |
辰巳櫓跡裏手の石垣 |
大垣城天守: 4階のガラス窓にはちょっとガッカリです。 |
| 多門櫓(表門) |
東北隅櫓: 1985(昭和60)年建造。 |
天守入口(内部) |
| 城下遠望(関ヶ原方面) |
天守内部(太鼓) | 近くを流れる川ですが、おそらく外堀跡でしょう。 |
| 感 想 【おすすめ度】 C |
本丸以外は殆ど市街地化してしまっているため、想像していたよりも小ぢんまりしていました。駅から大垣城を目指して歩いたのですが、なかなか天守は見えず、ビルに埋もれてひっそりと建っている印象を受けました。天守内部にはさまざまな展示物があり、楽しめました。が、「関が原の戦い」の閲覧DVDの操作が、まるでわからん!!故障か?隣で仲良くDVDを観ているカップルを尻目に、「なんじゃ、こりゃ〜!」とボヤきながら、20分ほどあれやこれやしてみましたが、結局ギブアップし、墨俣城に向かいました・・・。それはそうと、4階のガラス窓、目立ちすぎていると思いません?旧天守の小さい窓の方が良いのにな・・・。 |