世田谷城 東京都世田谷区豪徳寺2丁目
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| (左)世田谷城 (右)城址碑 |
| 築城年 |
応永年間(1394〜1428) |
| 歴代城主 |
吉良氏 |
| 別 名 |
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| 形 式 |
平山城(丘城) |
| 遺 構 | 土塁・空堀 |
| 解 説 | 世田谷吉良氏の城館。世田谷吉良氏は三河国東条吉良氏の末裔で、治家の頃、上野国碓氷郡飽間郷を領し、「飽間殿」と呼ばれた。1366(貞治5)年、鎌倉公方足利基氏からから戦功として武蔵国世田谷郷を与えられ、この地に移り住んだと言われる。1426(応永33)年には、頼治か頼氏の代には世田谷に本拠を置いていた。 成高の代になると、戦国大名としての名実を備え、江戸城の太田道灌と同盟を結び、共闘。1477(文明9)年の長尾景春の乱では江戸城の防衛を任せられたが、その子頼康の代になり小田原北条氏と婚姻関係を結び、事実上北条氏に吸収される形となる。北条氏は世田谷新宿に六斎市を開き、世田谷城は南武蔵における軍事・交通の要衝となり、城下町も繁栄した。 天正18年の小田原攻めでは抵抗を示さず落城し、世田谷城の石材は江戸城修築の際に運び去られた。 |
| アクセス | 世田谷線上町駅〜徒歩10分 |
| 近くの城 |
江戸城。マイナーなところでは渋谷城
・三宿城・等々力城 |
| 世田谷線上町駅: ワタシは鉄道オタクではありません。 |
現地解説板 (画像をクリックすると大きくみられます) |
土塁: コンクリートで補強されてしまっています。 |
| 土塁 |
世田谷区立郷土資料館 |
世田谷代官屋敷の門 |
| 世田谷代官屋敷解説板 (画像をクリックすると大きく見られます) |
代官屋敷の門 |
白州跡 |
| 感 想 【おすすめ度】 D |
手元の資料では「土塁が残る」となっているのですが・・・。土塁といえば土塁ですが、コンクリートで周囲を補強されており、正直あんましパッとしませんでした。近くにある「世田谷区立郷土博物館」にも足を運んだのですが、世田谷城関連の展示はしていないようでした。書籍も「昔は置いていたのですが・・・。」との事。 |