上田城 長野県上田市二の丸
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| (左)西櫓(現存) (右)城址碑(二の丸橋付近) |
| 築城年 |
1583(天正11)年 |
| 歴代城主 |
真田氏、仙石氏、松平氏 |
| 別 名 |
松尾城、伊勢崎城、尼ヶ淵城 |
| 形 式 |
平城 |
| 遺 構 | 石垣、堀、土塁、櫓門(復元)、南櫓・北櫓(移築)、西櫓(現存) |
| 解 説 | 1583(天正11)年、真田昌幸が築城。2度にわたり徳川勢の大軍を退けたことで有名。 まず、第一次上田合戦。信濃北部への進出を狙う徳川家康は上杉家との境目の城である上田城へ侵攻。当時上杉側であった真田昌幸は籠城、持久戦に持ち込む。その際、神川渡河点という絶好の防御地点をあえて放棄し、徳川勢を二の丸に誘い込んだ。本丸攻略に集中する徳川勢の背後を長男信之の別働隊に襲わせると同時に城側の部隊も出撃、混乱した徳川勢は壊走し、大損害を受けた。この戦いで真田昌幸の名が全国に轟く。一方の徳川勢は、この敗戦の17年後、再び真田に煮え湯を飲まされる事となる。 1600(慶長5)年、関が原合戦の前哨戦として、濃尾に急ぐ徳川秀忠勢を上田城で迎撃、徹底的に挑発・愚弄し城下にまで誘引した結果、大打撃を与え、実質的な主力部隊であった秀忠勢3万8千は関が原合戦に参加できなかった。 関が原合戦後、昌幸・幸村は高野山へ配流となった。城は破却され、東軍についていた信之(真田家存続のため、父昌幸・次男幸村は西軍に、信之は東軍についた)も松代に転封したが、代わって入封した仙石忠政により現在の形に復興された。天守はなく、7基の櫓が建てられていたらしい。 |
| アクセス | JR上田駅〜徒歩10分 |
| 近くの城 |
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| 真田井戸: |
真田神社 |
真田石: |
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| 南櫓、東虎口櫓門、北櫓: |
南櫓、東虎口櫓門 |
南櫓内部: |
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| 尼が淵跡から見た南櫓 |
真田幸村像 |
本丸堀 |
| 感 想 【おすすめ度】 A |
あまり時間は取れなかったのですが、それでも見応えは十分。特に現存する西櫓、特に尼ヶ淵跡からの眺めは迫力十分!感動しました(内部は見られませんでしたが)。さすが「真田の城」ですね。南北の櫓と櫓門(ここも風格があります!)が資料館になっており、真田昌幸・幸村父子の人形が飾ってあります。城址内に「上田市立博物館」があり、「郷土の歴史/上田城」という本を販売していますが、これがなかなかのスグレモノです。堀も見事で、秋には紅葉で非常に美しいとか。 ところで、「その後」の昌幸・幸村父子、昌幸は配流先で病没してしまいますが、幸村は「大坂の役」でカムバック。豊臣方として、大阪城でまたしても徳川家康に一泡吹かせます。冬の陣では、「真田丸」からの巧みな攻撃で、「夏の陣」では徳川本陣に突入、家康に自害を覚悟させる程の奮戦をして討ち死に…と、父子2代にわたって「家康キラー」ぶりを発揮してくれます。格好イイ! |