大阪城 大阪府大阪市中央区大阪城
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| (左)大阪城天守 (右)豊臣秀吉像 |
| 築城年 |
1672(寛文12)年 |
| 歴代城主 |
豊臣氏、幕府直轄 |
| 別 名 |
錦城 |
| 形 式 |
平城 |
| 遺 構 | 復興天守、石垣、堀、大手門、櫓、金蔵など |
| 解 説 | 10年余り織田信長の攻撃に耐え抜いた末に開城した要害の地、石山本願寺跡地に織田信澄と丹羽長秀が築城を開始。信長は安土城に続く新たな拠点として入城しようとしていたが、築城途中で本能寺の変により自刃。天正11(1583)年、豊臣秀吉が政権の府都として大坂城の築城を開始し、慶長3(1598)年ごろまで整備が続き、難攻不落の城となった。ところが慶長19(1614)年、方広寺鐘銘問題に端を発して大阪冬の陣が勃発。徳川軍20万は牢人などが中心の豊臣軍12万を圧倒するが、大坂城に籠もる豊臣軍を攻めきれず、その和議が成立すると、徳川方は惣構(一番外側)の堀を埋める約束を破り、二の丸、三の丸の堀を埋め立ててしまう。翌慶長20(1615)年、大坂方の牢人再徴募などを咎めて夏の陣が起こる。真田幸村の家康本陣への突撃などで奮戦したが、堀を失った大坂城では勝ち目もなく、豊臣秀頼と淀殿以下も自刃。豊臣家は滅亡する。 その後、幕府は二代将軍秀忠が大坂城の直轄化と再建を決定。元和6(1620)年再建を開始する。豊臣大坂城を完全に埋め立てた上に徳川大坂城を築城。その規模を豊臣時代のものをはるかに凌ぐものとなったが、寛文5(1665)年に落雷により天守が焼失し、明治元(1868)年には新政府軍の攻撃で本丸・二の丸の建物の殆どが大破してしまった。現在の天守は昭和6(1931)年に建てられたもの。 |
| アクセス | JR大阪環状線「大阪城公園」から徒歩5分(本丸までは20分) |
| 近くの城 |
東外堀の石垣 |
青屋門:昭和45年復元 |
極楽橋:昭和40年復元 |
| 「豊臣秀頼・淀殿自刃の地」の碑: 本丸の目立たないところにひっそりとありました。合掌。 |
本丸石垣 |
城下遠望 |
| 天守台石垣 |
天守改札口 |
蛸石: 城内第一位の巨石で、およそ130tもあるのだそうです |
| 本丸空堀 | 豊国神社の鳥居 | 乾櫓と千貫櫓 |
| 感 想 【おすすめ度】 B |
広いです。大阪城。予定していた時間を大幅に超過して見てきましたが、それでも時間が足りませんでした。天守付近は非常に混雑していましたが、一大観光地だし、訪れたのが夏休み時期の日曜日、しかも晴れた日とあっては致し方ないですよね。内部はエレベーターが設置されていますが、まぁそこは「人に優しい太閤さんの大坂城」という解釈で(笑)…。それに引き換え、「西の丸庭園」は閑散としていましたが、乾櫓、千貫櫓、焔硝蔵など見どころは多いです。ここから眺める天守も良いものでした(別料金は取られるけど)。あとは、圧巻の高石垣。特に本丸北東面(極楽橋のあたり)の石垣は高さが日本一だそうです。心残りは真田丸跡に行けなかった事。石碑くらいはあるのかな〜。電車を利用するなら、大坂城から京阪線に乗り、淀城⇒伏見城⇒二条城と京都方面に攻めあがっていく方法か、ひたすら西を目指し世界遺産の姫路城を攻略するかがおすすめです。 |