臼井城 千葉県佐倉市臼井字城ノ内
| (左)本丸跡と印旛沼 (右)本郭〜U郭間の空堀 |
| 築城年 |
12世紀中頃 |
| 歴代城主 |
臼井氏、原氏 |
| 別 名 |
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| 形 式 |
平山城 |
| 遺 構 | 土塁・空堀・石積み |
| 解 説 | 印旛沼南岸に張り出す舌状台地に立地する。近世以降の干拓により、城址付近は水田や宅地となっているが、臼井城が機能していた時代には城下近くまで沼であったようだ。印旛沼を利用した水上交通の要所で、下総国における重要な軍事的拠点であった。臼井氏により築城されたと考えられている。1479(文明11)年に関東管領上杉氏と古河公方の抗争に関連し、上杉方の太田道灌の勢力に攻め落とされたが、臼井氏が復帰した後、生実城を本拠としていた原氏に取ってかわられた。原氏は後北条氏の勢力下で、下総において2500騎の兵力を有していたとされる。1566(永禄9)年には、上杉謙信に攻められたが、辛うじて落城を免れている。その後、原氏は1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏滅亡とともに滅亡。徳川家康の重臣酒井家次が三万石で入城するが、1605(慶長9)年、酒井氏の転封により臼井城は廃城となった。 |
| アクセス | 京成うすい駅〜徒歩20分 |
| 近くの城 |
師戸城、小竹城、佐倉城、本佐倉城 |
| 太田図書の墓: 太田道灌の弟。臼井城攻めでの退却の途中で討たれました。 |
臼井城解説板 (クリックすると大きく見られます) |
U郭空掘: かなりの深さと規模です。多少藪化しているのが残念ですが。。 |
| 本郭〜U郭間の土橋 |
本郭に残る土塁 |
本郭付近の腰曲輪 |
| 本郭の虎口 |
若干の石積み遺構が残っていました。 |
臼井城から眺める印旛沼: 水運の要衝です。沼の左端あたりが師戸城址。 |
| 感 想 |
この日は、印旛沼ほとりの公園でレンタサイクルを借りて、師戸城、小竹城とともに見学してきました。印旛沼、良いですね〜。当時は自転車も、ましてや電車や乗用車なんて無いですからね。河川や沼を利用した水上交通の重要さは今とは比べ物にならないのでしょうね。臼井城と沼を挟んで、対岸の師戸城との位置関係の重要性が良くわかります。 城址入り口がよくわからず、さんざん人に聞いて何とか辿り着きました。空堀の深さや城の立地には説得力はありますが、欲を言えばもう少し史跡として整備してほしいという感想を持ちました。 |