中野城山 東京都中野区中野1丁目
| 中野城山跡:現在は運動公園になっています。 |
| 築城年 |
文明年間(1469〜87) |
| 歴代城主 |
平重俊、太田氏、堀江氏(?) |
| 別 名 |
道灌とりで |
| 形 式 |
平山城 |
| 遺 構 | なし |
| 解 説 | 現在は谷戸運動公園となっている。昭和初期までは、幅4.5mほどの土塁が残っており、1675(延宝3)年の村の記録には「堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地に、空堀があり、昔から城山と伝えられている。」とある。 それ以前は、平重俊が築城した、或いは平忠常の城砦とも考えられる。また、太田道灌の陣地で、「道灌とりで」などとも言われている。 |
| アクセス | JR中野駅〜徒歩15分 |
| 近くの城 |
石神井城、稲付城、和田山など。明瞭な遺構が残るのは八王子城、滝山城 |
| 裏手にも「城山公園」が。 |
その「城山公園」、農事試験場跡地だそうです。 (クリックすると大きく見られます) |
城山 現地解説板 (クリックすると大きく見られます) |
| 感 想 【おすすめ度】 E |
ただの公園です。昔、土塁があった場所には、「近代型の5層模擬天守(マンションのことやね)」が建っていました。周囲もざっと歩いてみたのですが、土塁の残骸すら見当たりませんでした。ここの裏にも「城山公園」という公園があり、そこも城域の一部だったのでしょうか。期待以上の「がっかり度」でしたが、中野に城があったなんてことを知る人は何人いるのでしょう。「都内・何も残ってないやんけ〜!」シリーズをやるのも面白いかもしれませんね。 解説板が一枚立っており、それによると、土豪の居館を城砦化したものであったようです。太田道灌の名前も出ていましたが、立地的に、石神井城・平塚城攻め時の陣城(豊島氏との沼袋・江古田の戦いに際して、太田道灌が改修を加え、前線基地の役割を果たした)か、或いは、屋敷を改修した岩槻城〜川越城の繋ぎの砦程度のものであったのかもしれませんが、比較的早い段階で廃城になっていたのではないかと推測します。 |