青鳥城 埼玉県東松山市石橋字城山
| (左)二の郭の土塁 (右)三の郭水堀 |
| 築城年 |
室町時代 |
| 歴代城主 |
不明 |
| 別 名 |
石橋城 |
| 形 式 |
平山城(丘城) |
| 遺 構 | 空堀、土塁、櫓台 |
| 解 説 | 松山城 の西方4kmに位置し、近くを都幾川が流れる。鎌倉街道も通っており、街道の抑えとしても重要な位置にある。文献に青鳥城に関しての記述はいくつかあり、@1183(寿永2)年、源頼朝が義仲を討つ時に在陣した。A1271 (文永8)年、日蓮上人が佐渡へ配流された時に一泊した。B1440(永享12)年、結城合戦の時に上杉憲実が、1478(文明10)年に上杉定正と太田道灌が在陣した。築城に関しては「青鳥判官藤原恒儀」説と「斧沢修理大夫」説とがあるが、いずれも充分な裏づけはない。 いずれにしても、上杉氏支配の時代は川越城と鉢形城の繋ぎの城・対の城として、後北条氏の時代には松山城の支城としての役割を担っていたことは確かである。 1590(天正18)年、秀吉の小田原攻めでは、前田利家が陣を置いたという伝承がある。 |
| アクセス | 東武東上線森林公園駅〜徒歩30分、東武東上線東松山駅〜徒歩
45分 |
| 近くの城 |
東松山駅反対方向ですが松山城、森林公園駅方面では山田城、羽尾城 |
| 本郭の空堀: かなりの藪でした。 |
城址碑 |
本郭 |
| 本郭 |
本郭: 東側の土塁。南側に物見櫓跡があります。 |
二の郭:石塔婆 |
| 三の郭: 曲輪と土塁が僅かに残っています。 |
三の郭:虎御石 |
城址遠望 |
| 感 想 |
松山城を見た勢いで、最寄りと思われた青鳥城を目指したのですが・・・。いや〜、遠かった!今思えば駅を隔てて正反対方向の青鳥城を目指すよりも、電車に乗って他の駅近の城址に行った方が遥かに効率的だったのですが。徒歩30分以上は歩き、何とか城址周辺らしき場所に辿り着きました。それらしい丘は発見したのですが、どこから入ってよいか、そこが青鳥城なのかさえもわからず、いつものごとく聞き込みを行いました。とはいえ、辺りに人は見当たらず、なんとか農作業中のおじさんを捉まえ城址を聞き出しました。城址入り口は少々入り組んだ場所でした。案内板がひとつありますが、探すのに苦労するかもしれません。近くにラブホが一件建っているので(苦笑)、それを目印にすると良いかもしれませんが、何ちゅう組み合わせだ・・・(汗)。まぁ、東松山周辺の城址めぐり(でなくとも)は、東松山駅から松山城へ向かう途中の「ウォーキングセンター」を拠点に情報収集すればよいでしょう。親切に教えてくれます。 城址はかなり藪化している箇所も多く(主郭周辺の空堀は特に)、各曲輪間には住宅が点在しているので、ニの郭北部の土塁(特に見やすく明瞭に残っています)は見落としやすいかもしれません。「おため池」と呼ばれる水堀も現存していますが、こことニの郭内にもう一ヶ所、なんだかミステリアスな石碑が建っています。 帰りは最寄りの森林公園駅まで徒歩で。それでも軽く30分はかかりました。ふぅ、遠かった。 |