松山城 埼玉県比企郡吉見町北吉見
| (左)春日丸〜二の丸間の空堀 (右)本丸付近の空堀 |
| 築城年 |
応永年間(1394〜1428) |
| 歴代城主 |
新田義貞、上田左衛門尉友直(?) |
| 別 名 |
城山 |
| 形 式 |
平山城(丘城) |
| 遺 構 | 空堀、土塁、櫓台跡、井戸跡など |
| 解 説 | 新田義貞が鎌倉幕府の北条高時を攻撃した際、兵を駐屯させたのが始まりといわれているが、本格的な築城は上田左衛門友直であると伝えられている。 1537(天文6)年、既に江戸城・川越城を攻略した北条氏綱は一気に松山城も攻撃。対する扇谷上杉氏は上田又次郎政広を城主とする松山城に籠城し、城外で戦っていた城代・難波田弾正は北条方の将・山中主膳に歌を問いかけられ、歌を返したという「松山風流歌合戦」や天文14年から15年にかけての「河越夜戦」での北条氏による追撃などをはじめとして数々の戦いの舞台となった。1562(永禄5)年には、北条・武田連合軍VS太田資正・上杉謙信の戦いが行われ、北条方が兵糧攻めで勝利している。これ以降、後北条氏の安定支配下に置かれたが、天正18年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家・上杉景勝に包囲され落城。上田氏も滅亡した。 徳川家康関東入国の後、松平家広が居城したが、跡を継いだ弟・忠頼が浜松に移封されたのと同時に廃城となった。 |
| アクセス | 東武東上線東松山駅〜徒歩30分 鴻巣駅行きバスで約10分(停留所名は乗っていないからわからん。「吉見百穴」で降りる旨を伝えれば運転手さんが教えてくれるハズ!) |
| 近くの城 |
沿線では菅谷館か?山田城・羽尾城も近いかな? 徒歩にこだわるなら青鳥城ですが遠いです。 |
| ササ曲輪付近: ここが城址入り口です。 |
城址碑 |
二の丸跡: 二の丸から見た空堀 |
| 三の丸跡: 土塁。土塁は三の丸跡が最も明瞭でした。 |
本丸跡の紅葉 |
兵糧庫跡: この曲輪に兵糧庫があったそうです。 |
| 兵糧庫直下の切り通し: 建物は岩室観音です。 |
岩室観音: 洞窟の中に無数の地蔵が。 |
吉見百穴:有名だそうです。 |
| 感 想 |
ひとことで言えば「空堀の迷路」。これでもかと言わんばかりに、空堀に次ぐ空堀。本当に今どこにいるのか、方向感覚が狂わされます。誤解を承知で言えば、「中世城郭版・姫路城(ちょっと褒めすぎ?)」。築城時期も、建物の現存具合も、規模さえ違うけど、「どこにいるのかわからん」感覚は確かに姫路城で味わったものと似ています。おそらく、土を石垣に置き換えて、もっと規模を大きくすれば・・・?とにかく、丘陵を縦横無尽に走る空堀に圧倒されます。度重なる戦いに巻き込まれた城だけに改修に改修を重ねて、こうなったのでしょう。杉山城や本佐倉城も凄いけど、松山城も負けず劣らず、です。吉見百穴(結構有名な横穴式古墳です)も近いし、休日に出かけてみては? ワタクシの知り合いなど(城や歴史にはそれほど興味がない人ね)を連れて行ったり写真を見せたりすると、城址について、「建物(天守のことでしょう、多分)が建っているよりも、何もない方が想像力を掻き立てられるから良い。」という評価が返ってくることがあります。まぁ、たいてい中世の城址は殆どと言って良いほど人が居ないので、休日を自然の中でボケ〜と過ごすのにも最適な場所かもしれません・・・。 東松山周辺の地理情報は「東松山市ウォーキングセンター」に立ち寄りましょう。おすすめスポットや行き方を親切に教えてくれます。東松山駅東口の道をひたすら直進(15分ほど)すると、左手にあります。(tel:0429-23-9090・月曜休館) |