わかみやクラブ・城部 <館山城>

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館山城   千葉県館山市館山字城山

模擬天守 八遺臣の墓
(左)館山城模擬天守。犬山城をモデルにしたそうです。・・・に、似ている!
(右)八遺臣の墓。八犬伝のモデルになったそうです。

築城年
1588(天正16)年以降
歴代城主
里見氏
別 名

形 式
平山城
遺 構 模擬天守・土塁・空堀・石積み
解 説

 館山湾を見下ろす独立丘陵上に位置する房総里見氏最後の居城。里見義康が豊臣秀吉から「惣無事令」違反を問われ、上総領を没収されたことで、天正19年頃岡本城から本拠を移した。1600(慶長5)年の関が原合戦で徳川家康側についた義康は、恩賞として三万石を加増され十二万石の関東最大の外様大名となったが、三年後、三十一歳で亡くなり梅鶴丸が家督を相続した。しかし、1614(慶長19)年伯耆国(現在の鳥取県)へ国替となり、館山城は廃城となった。現在、城山公園として模擬天守が建てられている。

 【房総里見氏】
 戦国時代の房総に君臨した一族。元々は上野国(群馬県榛名町)の出身で、1400年代の中頃安房国に現れ房総里見氏となった。その祖、里見義実は上杉勢力を駆逐し白浜城(南房総市)を取り立て安房進出の基盤を作った。その子・義通は稲村城(館山市)へ進出し、安房国主となった。義通から家督を継いだ里見義豊は1533(天文2)年、叔父である里見実堯と腹心・正木通綱を稲村城内で殺害、この事態に実堯の子、義堯は反撃し翌年、義豊を討ち取った(「犬掛の合戦」)。

 犬掛の合戦で勝利した分家筋の里見義堯は家督を継ぎ、里見氏は上総地方へ進出。稲村城宮本城(南房総市)⇒滝田城(南房総市)⇒久留里城(君津市)へと次々に拠点を移し上総支配に乗り出した。この頃から、東京湾を挟んで対岸の後北条氏との戦いが始まり、義堯は子の義弘を佐貫城(富津市)に、義弘の子・義頼を岡本城(南房総市)に置き、安房・上総地方の安定を図った。

 しかし、義弘の死後、1580(天正8)年、佐貫城を拠点とする梅王丸と岡本城の義頼との間で後継者争いが起こり(天正の内乱)、義頼側が勝利。また、義頼は里見氏から離反した小多喜城(夷隅郡大多喜町)の正木憲時を破り、西上総・東上総地方を支配下に置いた。 義頼から家督を継いだ義康は小田原攻めで失策を犯し上総を没収され、館山城(館山市)に拠点を移した。

(NPO法人 南房総文化財・戦跡保存フォーラム「房総里見氏」より)

アクセス JR館山駅〜日東バス・JRバス「城山公園前」下車 ※館山駅にレンタサイクル有。
近くの城
稲村城、岡本城


石積み
模擬天守
城下遠望
僅かに残る石積み遺構。
模擬天守(館山市立博物館別館):
許可を得て撮影させていただきました。

城下遠望
館山湾がきれいです。

本郭跡
腰曲輪
堀切
模擬天守から見た本郭跡。
主郭西側の腰曲輪と館山湾


堀切:
尾根をざっくり切っています。
垂直削崖
千畳敷付近
博物館
本丸南東部の垂直削崖:
ここらへんが”里見氏”の城って感じがします。
千畳敷付近から本郭を見る
館山市立博物館本館



感 想

 この日はJR館山駅でレンタサイクルを借りて、館山城稲村城南条城と見学してきました。結構良い運動になります(笑)。

 館山城自体は太平洋戦争の時、当時の軍部により大きく改変されてしまっているようです。ただ、犬山城を模したと言われる模擬天守(ホント、そっくりです)の内部が博物館別館になっているのと、そこからの眺め・・・麓にある博物館本館も合わせて、おすすめです。里見氏関連の情報が満載ですよ! 遺構も全くないわけではなく、「八遺臣の墓」の途中にある堀切なんかは、「これぞ里見氏系城郭!」と言いたくなるような雰囲気です。そして、「南総里見八犬伝」!もちろん、物語は江戸時代の創作ですが、ステキです(笑)。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の玉(ガラス製)が博物館で販売していました。この日はスルーしたのですが・・・どうしても気になり、後日再訪し購入しました。

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